もっちもち

うふふ

姉について

姉のことをずっと憎んでいた。

小さい頃から気の強かった姉は私のことを妹として扱うこともあったけど、当人が定期試験や受験勉強に差し掛かるときまってわたしを殴ったり、5人家族にしてはやけにせまい家で2人きりになると「なにも物音を立てるな」とだけ指示して、それから部屋に篭り、わたしが物音を立てたらひどく怒ったりしていた。

姉は昔から頭が良かった。いまでもたくさんの本を読んだり論文を書いたりしているから勉強が好きなんだと思う。わたしとは全く違うタイプで、頭も良くてスポーツもできて賢い高校に行って賢い大学へ行って、大学では好成績を残しつつも趣味で金を使い込んでカード地獄に追い込まれ、当時高校生だったわたしはどんどん姉のことを憎んだ。自分をいじめた上に優秀で親からもちやほやされて趣味に楽しんでる姉の存在はわたしの根底のなにかを捻じ曲げるには充分すぎるほどだった。我慢と劣等感と恐怖で文句をうまく言えないということが及ぼした影響からか中学生の頃にはリストカットをする癖がついた。いわゆる天才と凡人で、それが血を分けた姉となると余計に苦しい日々を送った。おそらくADHDありがちの無駄な完璧主義が災いしてかわたしはだいたいのことが「器用貧乏」で終わる。好きなことはある程度まではできる。けれど他人と自分を比較して少しでも劣等感に自分が負けたらすぐに投げる。他人のことを心の底ではいいなぁ、普通の家庭普通の経済環境普通のきょうだい。自分の中に誰にも見せられない昏い昏い醜い穴があって、マグマのようにふと沸きたつそれを抑え込むような日々だった。

だから接客業のバイトは実は嫌いではなかった。にこにこしてる内心で「ああ、こいつよりはまだわたしはまともな人間だ」と思って優しい気持ちになれる。なんとも最低な話であり、そんなこと考える人間がまともかと言われたら全くそうではないのだがそれで精神を保ってたのだからそれはそれで認めるしかない。

 

劣等感からくる中途半端がどんどんひどくなって、それからはTwitterの人々にもよく言ってるように大学に浪人で入りはしたものの休学や留年を繰り返し、気づいたら大学8年生になっていた。学費は自分でバイトして払ってるからいいだろう、というとんでもない傲りと、自分が発達障害傾向であり、その併発でいわゆるメンヘラであるという現実を認められなかった、誰も指摘できなかった、などの理由はあれど今となっては全てが遅く、「中退届けも出さずに学費未納で除籍」という最悪の事態に陥った。これでのうのうとTwitterライフをエンジョイしていたのは自分の強みでもあるとも思う。危機意識が低いことは裏を返せば楽観主義であるということで、裏を返すということはだいたい屁理屈であり心持ちの問題であるという話はここでは省略する。

 

文章を書くのがわりと好きなので話は逸れてしまったが、11月に父親の癌が発覚した。

(途中)